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構想しもきた
〜下北半島の未来を考える〜
shimokita vision

下北半島の未来について一緒に考えてみませんか
~下北百年の創造~

構想しもきたとは
shimokita vision
本州最北の地、人々を惹きつける魅力を内包した下北半島。
この地には、歴史の積み重ねとともに多くの挑戦がありました。
「構想しもきた」は、近代から現代に至るまでの地域の歴史を見つめながら、
下北半島の未来を考えるための情報発信サイトです。
過去を学び、現在を見つめ、そして未来への構想を描く。
ここから、新しい対話が生まれることを願っています。
下北半島
地域開発150年の軌跡
Cautions
明治維新から現在に至るまで、
下北半島では様々な地域開発が行われてきました。
歴史の中で起きた出来事や人物、政策などを
一つひとつ紐解きながら、
地域の歩みを振り返り次世代への教訓を伝えます。


【第2回】下北開発の兆しと会津人の貢献
1868年(明治元年)9月(旧暦)、戊辰戦争(新政府軍と旧幕府軍との戦い)は会津藩と盛岡藩の降伏によって終わりました(函館戦争は翌年5月まで続く)。旧幕府軍として戦い敗れた会津藩は23万石から3万石に減らされ、領地は会津から二戸郡(金田一、二戸)、三戸郡(五戸、三戸、田子)、北郡(下北半島)に移されました。藩庁は当初、三戸に置かれので三戸藩と呼ばれましたが、その後田名部に移され斗南(となみ)藩(はん)と呼ばれるようになりました。“斗南”とは北斗七星の南という意味で、北の大地にあっても南(中央)をめざして堂々と生きようとする会津の人々の心を表していると言われています。藩士と家族の約1万7千人が会津を離れて北辺の地に移住し領内の各地に散っていきました。下北半島では田名部や大湊を中心に、大間、佐井、野辺地など半島全体に移住しました。会津は寒く雪深い土地ながら米や作物がたくさん採れて豊かでしたが、下北半島は一段と厳しい寒さと“やませ”による作物の育ちの悪さにより、多くの藩士たちが飢えと病気で亡くなったと言われています。3万石では多くの藩士や家族を養うには


【第1回】連載を始めるにあたり~国策と歩んだ150年~
イギリスの歴史学者エドワード・ハレット・カー(1892~1982年)はその著書「歴史とは何か」(1961年刊、清水幾太郎訳)の中で、“歴史は現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない”と語っています。過去の出来事から教訓を得て現代に活かす役割が歴史であるということで、歴史は繰り返すと言われますが、歴史を良く学ぶところから未来が開けるものと言えるのでしょう。 この連載企画では、幕藩体制が終わりを告げ、日本が近代国家として形づくられていく明治維新から現在までのおおよそ150年間に、本州最北端の下北半島が地域開発史においてどのような歴史をたどったきたのかを俯瞰し大きな流れをわかりやすく紹介します。学術的なことは避け、一般の方が下北半島が明治、大正、昭和、そして現在まで歩んできた開発の軌跡を身近に感じ、そこから未来につながるヒントを見出していただくことを願っています。 第1回は、150年をざっと駆け足で触れて、2回目以降から話を掘り下げて行く予定です。 下北半島は本州最北の半島の

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column
地域の歴史、社会の動き、日々の思索。
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2026年度第1回研究会 報告概要
7月1日に本年度第1回の「新産業技術研究会」および「観光振興研究会」が青森 市内で開催されました。その概要を紹介します。 新産業技術研究会 ・日時:7月1日(水曜日) 15:00~15:50 ・会場:青森県観光物産館アスパム6「八甲田」 ・演題:地元企業を中心とした再処理工場メンテナンスの将来像 ・講師:日本原燃㈱ 再処理事業部 ・参加者:会員約60名 ・報告概要 日本原燃㈱は地域共生を重視し、可能な範囲で青森県内の企業に発注する方針。 県外企業に依存している保全体制から徐々に地元企業への発注を増やし、青森県内 企業と共に再処理工場を運営していく方針 再処理工場の機器は、保全メンテナンスの難易度によって概ね3つに分類 1. 再処理特有の機器 六ケ所再処理工場のみに存在する機器 ➡ せん断、分離・精製、脱硝、製 品貯蔵、ガラス固化までの再処理工程の主要機器 2. 原子力発電所の類似機器を再処理工場向けに専用化した特注の機器 非常用ディーゼル発電機、無停電電源装置、放射性廃棄物処理にかかわる各 種装置 3. 一般産業でも使用されて


【第2回】フュージョンエネルギー(核融合)拠点戦略構想は誰のもの?
去る3月、青森県の宮下知事は「青森県フュージョンエネルギー拠点形成戦略」を発表しました。フュージョンエネルギーとは核融合を意味し、現在六ケ所村のむつ小川原開発地区で国際プロジェクトとしてITER(イーター)計画(核融合実験炉)が進められています。核融合は高市政権が打ち出した17の成長産業分野の一つにもなっていて、その拠点を全国に先駆けて青森が誘致しようとする気概は、エネルギー立県としての青森に相応しい戦略として大いに評価でき、今後の行く末に注目し期待したいものです。 ※政府が発表した2040年度までの17の成長産業分野への投資額は370兆円(国と民間合わ せて)、うち核融合には3.1兆円を官民投資 このフュージョンエネルギー拠点形成戦略は、慶応義塾大学のフュージョンエネルギー研究センターとの共同研究で進められ、核融合の原型炉の誘致を図り2030年代に発電の実証をめざすというもので、青森県や下北半島地域にとってまさに夢のプロジェクトと言えます。 戦略の狙いは、核融合に関連する県内企業を育成して産業集積を創出し、新たな雇用をつくろうとすると


【第2回】下北開発の兆しと会津人の貢献
1868年(明治元年)9月(旧暦)、戊辰戦争(新政府軍と旧幕府軍との戦い)は会津藩と盛岡藩の降伏によって終わりました(函館戦争は翌年5月まで続く)。旧幕府軍として戦い敗れた会津藩は23万石から3万石に減らされ、領地は会津から二戸郡(金田一、二戸)、三戸郡(五戸、三戸、田子)、北郡(下北半島)に移されました。藩庁は当初、三戸に置かれので三戸藩と呼ばれましたが、その後田名部に移され斗南(となみ)藩(はん)と呼ばれるようになりました。“斗南”とは北斗七星の南という意味で、北の大地にあっても南(中央)をめざして堂々と生きようとする会津の人々の心を表していると言われています。藩士と家族の約1万7千人が会津を離れて北辺の地に移住し領内の各地に散っていきました。下北半島では田名部や大湊を中心に、大間、佐井、野辺地など半島全体に移住しました。会津は寒く雪深い土地ながら米や作物がたくさん採れて豊かでしたが、下北半島は一段と厳しい寒さと“やませ”による作物の育ちの悪さにより、多くの藩士たちが飢えと病気で亡くなったと言われています。3万石では多くの藩士や家族を養うには


【第2回】コンテンツ産業の地方展開の可能性
一般社団法人 地域デザインオフィス代表理事、一般財団法人 日本立地センター監事
略歴
農村地域工業導入促進センターを経て、一般財団法人 日本立地センター専務理事
退職後、帝京大学経済学部経済学科教授 2023年退官
長年、全国の企業立地活動や地域振興に関する調査研究に従事
経済産業省の産業立地政策へのアドバイスのほか、東日本大震災後の復興計画や工業団地の開発に従事


【第2回】ワールドカップサッカー日本代表選手たちに思う ~若者は一度は都会に出て成長を~
青森県は、高校卒業者の県内就職率が約6割に止まり全国46位の低水準と新聞発表されました。※最低は鹿児島県 高校卒業生10人のうち4人が県外に仕事を求めて流出していることになります。地域にとって若者の流出は見過ごすことはできませんが、見方を変えれば、それだけ青森の若者が広い視野で日本の社会経済のために県外で頑張っていることになります。現に、青森県知事も一旦は地元を離れて国家公務員として国のために貢献し、その経験を活かして市長、そして今の知事があると言えます。 今年は4年に一度のワールドカップサッカー2026が北中米のカナダ、アメリカ、メキシコの16都市で開催され、決勝戦はスペインと前回優勝のアルゼンチンが対戦し、延長の末、スペインがアルゼンチンを1-0で破って4大会ぶり2度目の優勝で幕を閉じました。日本チームは決勝トーナメントに進出しましたが、1回戦でサッカー世界王者ブラジルと対戦し、先制点を取りながらも惜しくも敗退して決勝トーナメント初勝利はできませんでした。試合前、日本の監督や選手たちは「優勝をめざします」と熱意を語っていましたが、一昔前なら


【第1回】高市政権の「地域未来戦略」は若者の地元定着を促すか~今、若者は地方に多種多様な働く場を求めている~
一般社団法人 地域デザインオフィス代表理事、一般財団法人 日本立地センター監事
略歴
農村地域工業導入促進センターを経て、一般財団法人 日本立地センター専務理事
退職後、帝京大学経済学部経済学科教授 2023年退官
長年、全国の企業立地活動や地域振興に関する調査研究に従事
経済産業省の産業立地政策へのアドバイスのほか、東日本大震災後の復興計画や工業団地の開発に従事


【第1回】渋沢栄一の精神と東北振興
渋沢栄一 将来の不安に関する情報が氾濫し、国民は夢や希望を抱きにくい世相になっていると感 じます。将来に備えることは必要ですが、過剰に反応すると人々の活気が失せてしまい、 国や地域の活力までも減衰してしまう恐れが心配されます。将来が不透明な時代だからこ そ、未来への明るい灯明を見出すことが必要ではないでしょうか。 幕末から昭和初期までの91年間を生き抜き、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一 (1840年~1931年)は、実業家・慈善家として多くの事業を手がけ日本の近代化に大いに 貢献しました。また大正2年に大凶作が襲った東北の復興にも深く関与しました。 彼が言ったと伝わる行動の指針、精神の根本を示す格言があります。 ・夢なき者は理想なし ・理想なき者は信念なし ・信念なき者は計画なし ・計画なき者は実行なし ・実行なき者は成果なし ・成果なき者は幸福なし ・ゆえに幸福を求める者は夢なかるべからず この言葉には、幸福を求めるなら、自ら夢や理想、信念をもって計画的に実行し成果を あげることだ、との意味が込められています。人の生き方はもち


【第1回】「私を育ててくれた青森の役に立ちたい」IT企業 Arte㈱社長 伊藤真也さん
Arte株式会社 代表取締役 伊藤真也 シリーズ第1回は、「構想しもきた」のWeb制作に協力いただいた青森市のIT企業Arte㈱の伊藤真也社長を紹介します。IT企業の誘致・起業は青森県が力を入れている施策で、伊藤さんはUターンした起業家です。 青森県庁に近い古川町の国道4号に面したビルの仕事場に伊藤さんを訪ねました。 青森にUターンする不安を乗り越えて 伊藤さんは1987年生まれの39歳、青森の高校を卒業後、東京の大学に進学、埼玉県の情報通信会社に就職してWeb制作など経験を積んだのち、31歳の時に青森にUターンしました。「このまま首都圏の会社で一生を終えるのか、それとも青森に戻ってふるさとのためになにかチャレンジしてみようか」と考えたそうで、まだ独身だった伊藤さんは意を決して会社で培った経験をふるさとで活かし挑戦しようとUターンしました。首都圏と青森とでは市場の規模がまったく違うので果たして青森で仕事があるのかと不安な気持ちはあったそうです。しかしその不安を払拭したのが、若者の特権である“勢い”や“チャレンジ精神”だったと当時を振り返りま


青森の原子力産業と地域・産業振興を考える会2025年度活動実績
1. 総会の開催 (1)第1回定時総会 2025年 9 月17日(水) ホテル青森 (2)第2回定時総会 2026年 3 月24日(火) ホテル青森 2. 講演会の開催 (1)特別講演会 日時:2025年8月26日(火)16:30~18:00 場所:新町キューブ3階 貸会議室 演題:「最終処分場問題に対する草の根活動」 講師:もと九州大学教授 檜山 敏明 氏 (2)第1回定時総会記念講演会 日時:2025年9月17日(水)16:30~18:00 場所:ホテル青森 3階「孔雀西の間」 演題:「国家エネルギー戦略と原子力の役割」 講師:一般財団法人 日本エネルギー経済研究所顧問 十市 勉 氏 (3)第2回定時総会記念講演会 日時:2026年3月24日(火)16:00~17:30 場所: ホテル青森 3階「孔雀西の間」 演題:「日本のエネルギー確保に恒久的に貢献する青森の姿」 ~下北原子力連携化と次世代サイクルの構想~ 講師:もと日本原燃㈱専務取締役 田中 治邦 氏 3
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